2019年掲載情報
・評論:連作の構造と技巧――柴田葵「ぺらぺらなおでん」を読む(稀風社『うに ーuniー』、2019年5月)
【活動】
角川「短歌」時評連載開始のお知らせ/小玉朝子の情報を集めています
角川「短歌」2019年7月号(6/25発売)より、時評を担当させていただくこととなりました。
http://www.kadokawa-zaidan.or.jp/tanka/index.html
もう一名の時評執筆者は尾崎まゆみさんです。
はじめての時評、はじめての連載でどうなることかと緊張していますが、ともかく半年間、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、7月号掲載の時評には、昭和初期の歌人・小玉朝子を取り上げました。
小玉朝子は結社「橄欖」所属、前川佐美雄らの同人誌「短歌作品」(昭6~7)、「カメレオン」(昭7?~8)にも参加しており、佐美雄からも期待されていた歌人だったようですが、
昭和9年6月頃を最後に「橄欖」や短歌総合誌等から姿を消し、以後、消息がわかっていません。
昭和10年刊の『短歌年鑑』第2輯ではかろうじて神奈川の住所が記載されていますが、 現時点で、刊行物として名前が追えているのはそこまでとなります。
小玉朝子という歌人の名は現在ではほぼ全く語られることがなく、資料もあまり残っていませんが、その歌のみずみずしさ、あたらしさは、このまま消えてゆくのを待つにはあまりに惜しく思われます。
また、現代短歌の源流とみなされることも多いモダニズム短歌を検討するにあたっても、小玉朝子はその重要な構成員のひとりだったといえるでしょう。
この歌人について、何か情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、こちらのコメント欄やメールにて情報提供いただけますと幸いです。
メール連絡先: mmiyako91@gmail.com
*
◆小玉朝子『黄薔薇』より抜粋
いちまいのガラスの魚(さかな)泳ぎゐて透明體となりし海なり
日のたまり黄色く負ひてわが母にお伽話をしてゐたりけり
情熱をこはしたひとに六月の花束を送る煙草もそへて
何とかの頬紅といふ異國品飾窓(まど)にならんでもう夏もなき
歸らうと早く云ひてよ人込みのにほひはわれをみなし兒にする
【一首評】女の子を裏返したら草原で草原がつながっていればいいのに 平岡直子「一枚板の青」(『外出』創刊号)
歌壇と数字とジェンダー――または、「ニューウェーブには女性歌人はいない」のか?
※本記事は「短歌往来」二〇一八年十二月号に発表した評論です。発表時に傍点(﹅)をふっていた箇所については、アンダーラインで表現しています。
*
二〇一八年六月二日、名古屋・栄ビルにて『現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年「ニューウェーブは、何を企てたか」』が開催された。現在に至るまで強烈な影響を与えながらも、実態の漠然とした〝ニューウェーブ〟という現象について、荻原裕幸、加藤治郎、西田政史、穂村弘という、当時その中心にいた四者による証言で、ブラックボックスとなっていたその発生の起源を明らかにした。
全体には実りが多く、興味深い会であったが、新たな課題も提出されたと言えるだろう。特に議論が紛糾したのは、「ニューウェーブに女性歌人はいない」とする、西田を除く三者の歴史観である。
荻原 次の質問にいきますね。「ニューウェーブの女性歌人は」って、すごい質問だな。千葉聡さんの質問ですが、「ニューウェーブで男性4人の名前はあがりますが、女性歌人で同じように考えられる人はいませんか」です。論じられていないのでいません。それで終わりです。女性歌人について、なぜニューウェーブのなかで語られないかって話はまた別ですので、これは無茶だと思いますね。今日の論旨のなかでは。ただ、千葉さんが名前を挙げている林あまりさん、東直子さん、紀野恵さん、山崎郁子さん、早坂類さんは、それぞれに口語の表現、ライトヴァースなどの切り口で、加藤治郎さんと紀野恵さんとか、穂村弘さんと東直子さんとか論じることはたやすくできると思います。ニューウェーブというくくりだと全然べつなので、これはちょっと無理ですね。答えられる人がいれば、あとでください。
――書肆侃侃房「ねむらない樹」収録、「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」より
他の質問については四者順繰りにマイクを回していった場面で、この質問にかぎっては荻原の以上の発言のみであっさりと次に移り、会場には戸惑いの空気が生まれた。これに関しては終盤、会場にいた東直子より「ニューウェーブという言葉によってくくられる短歌史の認識に関しては、なんで林あまりさん、早坂類さん、干場しおりさんなどが、あまり論理の俎上にあがってこないのかとずっと疑問に思っていました。私のなかではニューウェーブの口語短歌の歴史的な先輩として刻まれているのに」と問題提起がなされ、加藤、穂村にも発言を求めたが、結局のところ、加藤も穂村も「女性歌人をニューウェーブに入れる必要はない、歴史的な定義からいって無理だ」といった認識を述べるにとどまり、時間の関係上、議論はそこで中断となった。
ああまたか、と暗い気持ちになってしまったのは、私だけではなかっただろう。東との応酬のなかでも触れられていたが、こういった議論が起きてまず思い出されるのは前衛短歌のことだ。「前衛短歌」というタームはもっぱら塚本・岡井・寺山のものとなり、葛原や山中や中城ら、そこにいなかったはずはない女性歌人たちが、定義上排除されてしまうこと。多くの女性歌人たちが、正史の中に確かな立ち位置を持たないこと。今回、荻原や加藤、穂村から「ニューウェーブはこの四人だ、女性歌人はいない」という宣言がなされた瞬間、まるで裁判官によって「短歌史」という見えない大きな書物の一頁に「正史認定」の重厚な判を押されたような、そんな錯覚を受けた。
正史、そんなものはない、と言う人もいるだろう。日本に女性差別なんてない、と言うように。見えないものについて語るのはいつもとても難しく、人によって見え方がちがうものについては、なおさら難しい。
*
短歌史における葛原の位置と役割は今も明確ではない。多面的であるということは、一つにはこの作家がそれほどに豊穣なものを持っているということだろう。(中略)しかし一方ではこの不安定な位置づけには、短歌史の創られ方の問題があり、その過程で葛原を読み解く文脈が欠落していったということでもあるのではないか。
――川野里子『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』
既存短歌史を問題視し、その構造の歪みに格闘してきた人々というと、川野里子がまず思い浮かぶ。『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』(本阿弥書店、2009)は一冊を通して徹底的に葛原妙子という歌人を突き詰めた歌人論だが、それは全く同時に、戦後短歌史そのものを枠組みから問い直す、スリリングな試みでもあった。
あるいは、早稲田短歌会の佐々木朔。佐々木は二〇一七年三月発行の機関誌「早稲田短歌」四十六号に「歴史について」という評論を発表し、前衛短歌やニューウェーブ、ポストニューウェーブにおける女性歌人の扱いについて、その時代時代の個々の女性歌人については誰もが饒舌に語れるのに対し、それを「正史」に組み込む際には――私はこれを、「前衛短歌」や「ニューウェーブ」といった語の定義を各々が語ったり、評論に書いたり、あるいは事典に記したり、といった意味でいったん捉えているが――、「女性は自分が何をつくっているのか自覚がない、方法意識がないなどという理由をもって棚上げされ(阿木津英[1992]『イシュタルの林檎』、五柳書院)」、排除される構造について、批判的に分析している。冒頭に上げたシンポジウムの一年以上前に発表された評論だが、私が当該の発言に抱いた違和感のほとんどはここに集約されているため、一読を勧めたい。早稲田短歌会の公式サイトに全文がアップされている。
あるいは、もちろん、瀬戸夏子。
――総合誌の掲載。
――歌論・評論における、扱いの大きさの違い。
――歌壇におけるポジション。
――歌を引用される頻度(ほとんど、歌というものは引用によって生き残る)。
……………………。(彼女らがそれを望むにせよそうではないにせよ)
なぜそんなことが起こるかといえば、答えは簡単すぎるくらいに簡単で、歌壇の中心的な登場人物が圧倒的に男性歌人に偏っているからだ(短歌人口における男女比率……にも、もちろん、拘らず)。
――瀬戸夏子「死ね、オフィーリア、死ね(前)」(角川「短歌」二〇一七年二月号)
二〇一七年二月から四月に渡って連載された瀬戸による時評「死ね、オフィーリア、死ね」は、歌壇における女性差別の構造を痛烈に批判し、SNSを中心に当時激しい賛否両論の嵐が吹き荒れた。
時評の内容やそれに対する反応についてここで詳しくは触れないが、残したものは大きかったと思う。多くの人があれを読み、口々に意見を述べた。批判する者、非難する者もいたが、多くの賛同者も可視化された。今年に入って、短歌界隈におけるさまざまな性差別的な発言が多く俎上に上がり、そのたびに胸を痛めてしまうことも事実だが、そこには「オフィーリア以後」とでもいうべき開けた空気を確かに感じるし、老若男女問わず、私も含めて、以前よりもとても自覚的になっているように思える。
さて、瀬戸の「オフィーリア」が歌壇における差別的構造の現状を指摘したのに対し、佐々木の「歴史について」は短歌史を制定する過程においていかにして女性が排除されてゆくか、その構造を分析するものだが、この二つの論には共通する点が多くある。二つの論を読み解く上で特に重要なのは、差別が「構造」であるという意識、そしてその構造を分析した点だ。具体的なひとつに、”男性歌人ばかりが評を書いて、男性歌人ばかりが歴史に残る”という、非常にシンプルな問題意識が共通してある。
*
それで女の歌人には、女は女でやっとけみたいなところがあるじゃないですか。一方、正史としての短歌史はこう続いています、となる。やっぱり男の人は基本的にそういう流れのなかに女の人を入れないんですよ。サブで入れたりはするんだけど、あくまでサブ。いま「何言ってるんだ、自分はちがう」と思った男の人は短歌に関しての自分が書いた文章なりツイッターなり心のなかの考えなりのなかで男女の名前の比率なんなりを一回きちんとカウントしてみてよ。(「瀬戸夏子ロングインタビュー」、『早稲田短歌』四十五号)
例えば、過去十年の『歌壇』、『短歌』、『短歌研究』三誌の時評 *1 において、集計した399本の記事のうち、二十代女性によって書かれた本数は全体の2%、三十代女性によるものは7.8%だった。
対して、二十代男性によって書かれた時評の数は全体の4.8%、三十代男性に至っては20.8%と、同年代の女性に比べてそれぞれ約二.五倍の差をつけている。特に三十代男性は他の各性別・年代のグループと比べてももっとも執筆本数が多く、次いで四十代男性の16.5%、五十代男性の13.8%と続く。
女性はもっとも多い年代でも、四十代で10.8%、五十代で10%で、それ以上増えることはない。各年代の男女執筆本数比で女性が上回るのは六十代のみで、女性は8%、男性は3.3%となる。七十代女性は0%、男性は2.3%。全体の比率で見ると、女性の執筆本数は過去十年間で154本、男性は245本となり、全世代をあわせても女性比率は4割を切っている。
前提として、短歌人口における男女比は戦後逆転し、以後ずっと女性の方がやや多いと言われている。これはかなりいろいろなところで言われているわりに確たるデータが見つかっていないのだが、例えば毎年行われている短歌研究新人賞の応募データを見てみると、過去十年間の平均値は女性50-54%、男性46-50%くらいの比率で推移している。世代別の人口比・性別比を調べようとすると膨大な作業が必要になりそうなので今回はやらないが(どこかが調査していないものだろうか……)、いったんは、男女半々か女性のほうがすこし多いのかな、という感じで、あらためてデータを見てみてほしい。
母数の人口比が不明瞭である以上あまり多くのことは言えないが、……言うまでもなく、時評執筆者が男性に偏っていることがわかるだろう。もちろん時評を書くだけが歌人の仕事ではないが、歌壇を広く見渡し、その時代の空気を書き残す重要な仕事において、特に三十代、四十代というボリュームゾーンでここまで差がついているのははっきりと問題だと感じる。歌人の三十代四十代といえば、経験や知識を豊富に蓄積しながら、上の世代にも若い世代の活動にも目端が利き、短歌も評も、あらゆる世代にとって影響力が強い世代ではないかと思う。
もう少し、他の数も数えてみよう。
例えば「短歌研究」年鑑の「評論展望」において、二〇一七年前半を担当した西ノ原一貴が言及した評者は12名、うち女性は3名だった。同じく後半を担当した田中槐は、内容に言及のあるものについて数えると評者は28名、うち女性は9名。二〇一六年は古谷智子と屋良健一郎が担当し、言及された評者は二者あわせて全39名、うち女性は8名。二〇一五年を担当したのは森井マスミと山田航で、言及は全24名、うち女性は3名である。――誤解のないように書いておくが、これは担当者の選出に難があるわけではなく、母集団における比率の問題だろう。
例えば、二〇一七年度の歌壇賞の選考委員は男性と女性が3対2。短歌研究新人賞は2対2。角川短歌賞では3対1。やや女性が少ないながらも絶えず女性選考委員が起用されているのに対し、現代短歌評論賞においては、選考委員全員が男性という年も少なくない。いても5名中1名といったところだ。
例えば――。……どんなデータを集めても同じだろう。
作品ならともかく、こと評となると書き手にずいぶん男性が目立つというのは、おそらくは多くの人が感じていることだろう。評を書くことと歴史をつくることはイコールではないけれど、まず書かなくては、何も残らない。多くの女性にとって書く場がない、書く機会が与えられないならば、それもひとつの構造的な差別である。
もちろん、評論の場で女性に比べて男性が起用されやすいのは、誰も差別しようと思ってそうしているのではないだろうし、裏にさまざまな事情があるのだろう。もし数が是正されて、書いたその先に、その内容を(女性であるがゆえに)読まれなかったり、過小評価されたり、やっぱり歴史に残らなかったりといったさらなる状況が出てくることも、悲しいが容易に想像できる。
ただ、現状として〈数〉にこれだけの差が歴然とあるのだ。まずはそれを問題と認識して取り組まなければ、今後も差別的な構造はただ再生産されてゆくだけだ。
*
話を少しだけ「ニューウェーブ三十年」に戻そう。
荻原も加藤も穂村も、かつて前衛短歌から山中や葛原や中城らが排除されたように、「ニューウェーブはこの四人だ」と括ることで、東や林あまりや早坂類ら女性歌人を排除することになるように見えることには、とても自覚的だったように思える。
荻原は角川『短歌』七月号の時評において、先述の佐々木朔「歴史について」に触れ、「つまり、私たちが先行世代や同世代に対して、孤立感を持って自称したニューウェーブが、同世代や若い世代には、女性排除的な短歌史の構図の中にあるように見えるらしい」と述べ、自らの立場から、再度ニューウェーブというものの説明を試みている。さらに、「現時点で、そうしたニューウェーブをめぐる言説が女性排除的な短歌史の構図の中に見えるとしたら、少なくとも私には、それを再考する義務があるとは思っている」と引き受けて、八月号でも引き続き考察を続けている。結局この二回の中でははっきりとは結論が出なかったようだけれど、荻原のこの態度はある意味、当事者の声として誠実なものだった。
そして実際、今回の件で最も根が深いのはそこだとも思う。
「前衛短歌」というタームで女性歌人が語られないのは、何も男たちが積極的に女たちを排除したからではないだろう。誰も、女たちをいじめたくて、あるいは、「宝物を独占して離」すまいとして *2 、排除したくて排除したわけではないだろう。
女たちが歴史から排除された原因は、誰も積極的には女たちのことを語ろうとしなかったこと、ではないだろうか。悲劇のヒロインやミューズや天女のような存在としてではなく、同じ時代を生き、お互いに競い合った、ただひとりの歌人としては。
――今回提出された「ニューウェーブに女性歌人はいない」という命題は即ち、「〈彼女たち〉はニューウェーブ歌人ではないのか?」という問いを立てる。この問いは今後時間をかけて、多数の事実や文脈の整理とともに議論されていくだろう。そのとき、事実を事実として扱うのではなく、その背景を常に批判的に捉え直しながら歴史を再考したい。短歌とジェンダーについて語るとき、その事実や文脈の基盤である既存の枠組みにどれほどの格差が存在するか、それを念頭に置いて正規化するだけでも、ずいぶん見通しがよいものになるのではないだろうか。
2018年掲載情報
今年一年、書いたものや遊んだものの一覧です。
【短歌作品】
- 「鍵」7首(東京新聞 2018年2月24日夕刊 「詩歌への招待」)
- 「記憶の広場」12首(うた新聞 2018年7月号 「今月のうたびと」)
- 「夏の影」30首(角川「短歌」 2018年10月号 受賞一年作品)
- 「光澄みつつ」8首(かばん 2018年12月号)
【評論、エッセイ】
- エッセイ:歌の直観を怖れない(うた新聞2018年1月号 ライムライト)→『She Loves The Router』の谷川由里子さんの歌会短歌評「感覚の逆襲」を受け、歌における直観と論理についての考察
- note:【と読む】鈴木ちはね『感情のために』(伊舎堂仁さんのnoteにて) https://note.mu/gegegege_/n/n58873e8d6c9e
- 批評会:『それはとても速くて永い』(法橋ひらく) 推し歌バトル登壇(2018年1月27日 早稲田大学戸山キャンパス36号館582教室にて)
- インタビュー:小遊星 飯島章友×睦月都(川柳スパイラル2号 2018年3月25日発行)
【前編】 https://note.mu/ofpaprika/n/n09e56d9c3670
【後編】 https://note.mu/ofpaprika/n/n32b85f14a324
- 没後10年前登志夫特集:今響く30首選+各首評(角川『短歌』2018年4月号)
- 書評:水原紫苑歌集『えぴすとれー』(角川『短歌』2018年5月号)
- 特集・新人賞へのアプローチ:角川短歌賞受賞作品「十七月の娘たち」十首選+エッセイ(かばん 2018年4月号)
- エッセイ:記憶の家の祈りの調べ(週刊読書人 2018年4月6日号) https://dokushojin.com/article.html?i=3151
→カトリックの祈りの調べと、葛原妙子の独特の韻律について
- note:【前編】吉田恭大と東京の上のほうを遊ぶ(お酒はずっと飲んでる)(相田奈緒+睦月都のnote「パプリカの集まり」にて) https://note.mu/ofpaprika/n/nb01e5622ddbd
- 穂村弘『水中翼船炎上中』書評:燃える水中翼船、その先の未来へ(ねむらない樹創刊号 2018年8月発行)
- 春日井建評:城壁の外側から眺めている――春日井建『未青年』について (角川「短歌」 2018年11月号 春日井建特集)
- 久保茂樹作品評:世界をふしぎがる気持ち(かばん新人特集号第7号 2018年12月発行)
- 対談:穂村弘歌集『水中翼船炎上中』特集 伊舎堂仁×睦月都対談(企画・司会:ながや宏高)(かばん 2018年12月号) https://www.amazon.co.jp/dp/B07M6C4YZH
- 角川短歌年鑑 回顧と展望:いくつもの新しい扉が開かれたような(2018年12月6日発行)
- 「いい歌バトル」Vol.2 20181216のログ(伊舎堂仁さんのnoteにて) https://note.mu/gegegege_/n/nd4c61472bd03
穂村弘作品におけるテーマの変遷――近作評を中心として・2
2003年以降の穂村弘作品リスト
- 真夜中に朱肉探してお父さんお母さんお父さんお母さん 「ひなあられ!」 (穂村弘近作百首選 46番掲載、以下付番のみ)
- 海光よ 何かの継ぎ目に来るたびに規則正しく跳ねる僕らは(50) 「新しい髪型」
連作序盤に、〈クリスマスの炬燵あかくておかあさんのちいさなちいさなちいさな鼾〉という、子どもの視点から詠まれた母の歌があり、またその数首後に〈あ、一瞬誰だかわかりませんでした 天国で髪型を変えたのか〉という歌がある。こちらは現在から見て、亡くなったお母様だと思います。このように過去と現在、子どもと大人の目線とがこれまで以上に複雑に絡まり合って、一人の〈母〉を描き出そうとしていることがわかる。
亡くなったお母様が天国で髪型を変えた、これがひとつ象徴的な出来事として、子どもにせよ大人にせよ「僕」の時間が前に動き出す……。
◆2011-2013
2011年以降、穂村作品において扱われるテーマが多様化していきます。あからさまな子ども主体の歌は少なくなってゆき、テーマにもモチーフにも、これまでの穂村弘にはなかった新たなテンションが増えてくる。
なかでもここ数年、震災や戦争、軍隊についての言及が増えたことは特徴的です。
2011年は震災の年でした。またこのくらいの時期から、秘密保護法案や憲法9条やら安保法案やら、政治もきな臭くなってくる。このへんの社会情勢がテーマに影響しているんじゃないかと考えられます。
「花見2011」は〈今日はまだ余震がなくてきらきらと立ったまま眠れそうなお天気〉という歌から始まる一連。といっても連作中には他にはっきりと地震が詠まれたものはなく、桜とアンドロイド、胡桃割り人形と、どことなく近未来的ですべすべした感触の歌が多い。
少し戻って2009年に 〈胡桃割り人形同士すれちがう胡桃割り尽くされたる世界〉(47)という歌がありますが、「花見2011」にはこの胡桃割り人形が再登場します。
- アレガ胡桃カモ知レナイと瓦斯タンクをみつめる胡桃割り人形は(65)
殻付きの胡桃って、ほとんど見ないですよね。コンビニに行っても西友に行っても、可食部だけがきれいにパックされて安く売られている。"胡桃割り尽くされたる世界"というのは恐らくその現実のことで、胡桃割り人形というのは時代の遺物、無用の長物の象徴として登場している。
瓦斯タンクを胡桃のように割ろうとしている人形、って怖くて。時期から考えてこの瓦斯タンクって原発のイメージにも重なる……と言うと恣意的かもしれませんが、世界の破滅、社会の破滅の感覚が色濃く出ていると思いました。
同じく2011年の作品「チェルシー」から。下句はコマーシャルのコピーそのままなんだけど、このタイミングで「別世界」とか言われると、やっぱり、当時の感覚があるのかなと思いますね。
東京という都市はあの震災で壊れたりしなかった、見かけにはなにひとつ変わっていないんだけど、やはり何かが決定的に変わってしまったというのは、みんな感じていたことで。あんまり、そう書かれてないのになんでも震災に結びつけるのは、よくないんですけど、恐らくそういう感覚があるように思います。
次の〈さらさらさらさらさらさらさらさらさらさら牛が粉ミルクになってゆく〉(67)、この歌は怖い。穂村さんは近年の歌論で、社会がどんどん合理的になってコンビニでいつでも何でも買えて"生き延びること"は容易くなった、その合理性の暴力的な側面をよく言われるんですが、この歌はそれを端的に言ってますよね。人間のコンビニ的社会基準が、「牛」を「粉ミルク」にひとっとびで変えてしまうという。
2012年の作「蜂鳥」は、主体は中学生か高校生くらいに思えます。小学生を思わせる主体はこれまでたびたび出現していましたが、このくらいの、この年齢で書かれたものってなかったので、それがひとつ興味深い。
- 蜂鳥、求婚、戦争が止まってる 言葉を習う窓の向こうで(69) 「蜂鳥」
- 目の前の背に透けているブラジャーのここにたしかにあるということ(70)
「蜂鳥」は一連八首で短い連作なのですが、この作品からは"戦争"がより現実として身に迫っている感じが伝わってきます。
2003年の〈電車の中でもセックスをせよ戦争へゆくのはきっときみたちだから〉(9)の戦争はなんというか、「戦争たるもの」という感じで、より抽象性が高い。対してこちらの「言葉を習う窓の向こう」の戦争は、自分とは隔てられているとはいえ、本当にそこで行われている"戦争"だと思う。
加えて、「ここにたしかにあるということ」という実感の仕方。授業中の風景という感じで、少し茶化しているのかもしれないですが、静かなテンポながら「生」の求心力を強く感じます。
ちょっと後ろに飛びますが、2015年に発表された「ふりかけの町」という一連。ここにはかなりはっきりと軍隊のことが、しかも、子供を集めて軍隊にするという話が出ています。
- 我が校の不良を完全にびびらせておそろしすぎる他校の不良(96) 「ふりかけの町」
- みたこともないほどおそろしい他校の不良を蹴った他校の先生
この連作については寺井龍哉さんが以前、これらの歌が集団自衛権に関わるのではないかと、Twitterで指摘されていました。
「短歌研究」二月号の作品季評に穂村弘「ふりかけの町」(角川「短歌」十月号)。
— 寺井龍哉 (@tasuyaterai) 2016年1月29日
「我が校の不良を完全にびびらせて」や「見たこともないほどおそろしい他校の不良」は、首相が集団的自衛権の説明に持ち出した「近所の不良」の例を念頭に置いているのでは、と思ったがそのことの言及はない。
その頃の"ほむほむ"を読むときの態度で臨んでいると、「ふりかけの町」もファンタジーとして読めてしまうのですが、やはりここは現実の戦争、現実の軍隊、現実の日本の政治情勢と全く関わりがないと言ってしまえば嘘になると思う。
2016年1月の短歌研究の座談会で、穂村さんが「塚本邦雄の歌の、政治批判や戦争を下敷きにしてアイロニーを繰り出すことに昔は引いてたけど、今読むとこれはほんとじゃん、って思う」といった発言をされてたと思うんですが、なんていうか、その「ほんとじゃん」って感じなのかなと思います。戦争も政治も遠い世界の出来事だったのに、いつのまにか、あれ、ほんとじゃん、って。その危機感が、穂村弘の歌に圧をかけている。
同じ連作で、〈炎天下だあれもいないみんな長渕剛のコンサートに行ったのか〉(97)。
これって震災詠なんですよね、たぶん。
いつだったか穂村さんが言ってるのを聞いたんですが、長渕剛が震災後に被災地でチャリティコンサートを開いて、ものすごい人が集まってみんな感動してた、それを見てなんか無力さに絶望してしまった……みたいな話をされていて。
そのときはあんまり理解できなかったし、だからここから言うことは私の想像で穂村さんの意見ではないのですが、長渕剛って、コミュニティ、ちょっと遠いじゃないですか。文学からといっていいのかなんというか。だから普段は聴かないし、むしろちょっと、なんとなく軽視してしまう気がするんですけど。そのコミュニティから外れていると。
でも実際、長渕剛が被災地に行って、救われた人が何万人もいた。本当に素晴らしく、偉大なことで、それゆえに、普段の自分の浅はかさを恥じてしまう。長渕を侮ってたのに、自分はなにもできてないじゃん、みたいな。そういった恥ずかしさと、その尊敬を自分の恥ずかしさに押しやってはいけない絶望感みたいなもの。
話は変わりますが、この時期の歌でひとつ言っときたいのが、笑っちゃうくらい加藤治郎さんのお名前が出てくるっていうことです。
加藤治郎、だいぶロボットなんですよね。割合でいうと九割くらいロボット。でも一割、人間の部分が残ってて、その一割の人間らしさのせいで、交替させようとすると「ううう」って呻くばかりになっちゃう。だからロボットとしてはポンコツなんですけど、なんだかその一割の部分が人間・加藤治郎の良さをめちゃくちゃ輝かせている感じがして。穂村弘の加藤治郎短歌、どれも楽しそうできらきらしていて印象的です。
◆2013〜2014 極東のアリスシリーズ
あえて別立てにしてるんですが、2013年から2014年にかけて穂村さんは「極東のアリス」というテーマでいくつか作品が発表されています。
- 目覚めよと香車にそっと口づける極東のアリスの光る黒髪(81) 「極東のアリス」
- 金髪のアリスと将棋を指している窓の向こうに降りつづく花(82) 「極東のアリス・2」
- 「この猫は毒があるから気をつけて」と猫は喋った自分のことを(84) 「遠足」
◆2014〜現在
2014以降からの作品は、テーマやモチーフに大きな変更は見られませんが、ひとつ「素顔の穂村弘的新たな顔」、と、めんどうな文法で書きますけど、その、いわゆる素顔っぽさが出てくるのが特徴です。
2011年にインタビューした記事で、『手紙魔まみ、わたしたちの引越し』にも載せたのですが、そのとき穂村さんが「かつての文体は非常にスタイリッシュ、二枚目的になっていた。けれど自分の自意識の在り方が変わって、本もいっぱい出せたし、ある程度そのままでもいいんじゃないかなって」というようなことを仰っていて。そのときに例えにあがっていたのは〈よかったら二枚着てください僕は旅館の浴衣が苦手だから 〉(62)、2011年の作でした。
あらためて見返してみると、こういった、等身大っぽい、素顔っぽい歌というのはその後も発表されているようです。
どこのブックオフでも穂村弘の本、ありそうですが。ちょっとこの自意識の持ち方っていままでなかったですよね。
この歌がいい歌かというとそうでもないんです。むしろ、ある程度の歌人で、自分の本が新古書店に売られてるよ……みたいながっかり感ってありがちだと思うんですけど、逆に穂村弘はそういう、現実の歌人でありエッセイも評論も書く売れっ子の「穂村弘」と、歌の中の主体が直結するような歌をほとんど書いてこなかったので、こういった素朴な感想みたいなものが逆に新鮮だった。
- 坪野哲久になれない 十回に一回くらい受け取るティッシュ(100) 「五百円玉の夜」
もう少し深読みすると、坪野哲久という人は政治思想的にプロレタリアの人で、短歌もプロレタリアでやっていた人で。私は坪野哲久について詳しく読んだわけではないのですが、政治的にも短歌にも非常に生身で取り組んだ人、という印象がある。
戦争があって、プロレタリア思想は弾圧されてしまうし、短歌史的にもうやむやになってしまうんだけど、その中でも抗い続けた人が、坪野哲久。
そこでなんでここで坪野哲久なのかというと、穂村弘という歌人の中に、なにかジレンマがあるように思えるんです。ニューウェーブのポップな口語体でやってきて、現在までにいろいろと自覚的に変化し続けてはいるものの、やっぱり根本的な口調はずっと同じところで来ている。これは、読者がそれを求めているというところも大きいのでしょうけれども。
その文体で、いまリアルに起きている震災や戦争や政治をどうやって詠うのか、という。その問題意識が、今現在の穂村弘作品の重要なテーマなのではないか、と、睨んでいます。
***
2003年から現在までの13年間の穂村弘作品を、ざっと見てきました。
今回のエントリは前編のあとすぐに出すつもりだったのですが、なんだかんだと時間がかかってしまって、時間が経つとなんとなく出しづらくなる気持ちがあったり、もっと正確に書かなきゃいけないような気持ちになったり、こう思ってたけどほんとはこうなんじゃないかという思考の滝壺にはまって出られなくなって、それでまた時間がかかり……というループになってしまいました。
ひとまず今日のところは、これで記事に残すことにします。ただ、穂村作品においてまだまだ掬い取れていない部分、分析できていない部分はかなりあって、そこは今後の私もやるつもりだし、例の近作リストや百首選やこのエントリなんかを手がかりに、誰かが取り組んでくれたらいいなと思います。
穂村弘作品におけるテーマの変遷――近作評を中心として・1
先日10月16日、久真八志さんが運営されているかばんの勉強会(Kabamy)にお誘いいただき、レポーターをする機会がありました。
勉強会のテーマは「穂村弘を追いかける!」。その名の通り、穂村弘氏の作家研究的な勉強会です。私は「穂村弘作品におけるテーマの変遷――近作評を中心として」という題で、2003年に出版されたベスト歌集『ラインマーカーズ』以降歌集としてまとめられていない穂村弘作品を集め、その作品群を年代別に傾向を整理する、ということをしました。
当日の資料については、久真さんによりKabamyブログに掲載いただきましたので、こちらをご覧ください。
http://kabamy.jugem.jp/?eid=23
資料リンク:
2003年以降の穂村弘作品リスト→ https://drive.google.com/open?id=0BzxZ66iatJ96RVVEWGJDeEVlZmc
睦月都 穂村弘近作百首選→ https://drive.google.com/file/d/0BzxZ66iatJ96VVBhMUlPSjhPcmc/view?usp=drive_web
※穂村弘作品リストについては、Twitterで協力を呼びかけ、有志のみなさまより提供いただいた情報をまとめました。ご協力いただいたみなさまに改めてお礼申し上げます。
※百首選の公開については、穂村弘さんご本人より許可をいただいております。
勉強会当日の発表では上記資料をもとに近年の穂村弘作品の紹介を行いましたが、この記事はその発表原稿をブログ記事用に若干の手直しをしたものとなります。
穂村弘氏は第一歌集『シンジケート』からそれに続く『ドライドライアイス』、「まみ」という少女から穂村弘に宛てた書簡集という設定の異色の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(以下、『手紙魔まみ』)まで、歌壇のみならず一般層まで幅広い支持を得ている特異な歌人ですが、『手紙魔まみ』以降の短歌作品はその多くが短歌総合誌に掲載されているのみであり、現在のところ歌集等のまとまった媒体では目にすることができません。
そのために穂村弘は、現代短歌を語る上でなくてはならない人物ながら、歌集の長いブランク期間のために、とりわけ近作については断片的にしか語られていないように思われます。
今回私の発表した内容はあくまで約13年間の総ざらい、概観的な内容となります。当然これが全てではありませんが、膨大な作品群から抽出したキーワードはそれほど大きく外れていないのではないかと、また、そのように注意深く読んできたつもりです。
この資料を手がかりに、今後さらなる優れた穂村弘批評があらわれることを期待しつつ、ここに掲載いたします。
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こんにちは、睦月都です。「穂村弘作品におけるテーマの変遷―近作評を中心に」というタイトルで発表させていただきます。よろしくお願いいたします。
本日は資料を2部配っています。1枚め、穂村弘近作リスト。これは2003年以降の穂村弘作品をまとめたものです。Twitterを通じて情報提供を呼びかけて、いろんな方からいただいた情報をもとに構成しています。そういったご協力により作られているリストなので、完璧に網羅できているわけではないんですが、短歌総合誌に発表されたものなんかはかなりカバー率高いんじゃないかな、と。
もう1部、穂村弘近作百首選です。
穂村さんは2001年の『手紙魔まみ』それから2003年のベスト歌集『ラインマーカーズ』以降、一冊も歌集を出されてません。さっきのリストをわざわざ集めたっていうのも、歌集さえ出てればこんな甚大な労力は払わなくてよかったんですけど……。
こういうのを作ったのは、一人の歌人の作品を、歌集に収録されていない状態で、いろんな雑誌に発表されるのを全部追いかけるのってほとんど不可能ですよね。私もこのお話を久真さんからご依頼いただくまでは、穂村近作ってほとんどノータッチで来ていて、もちろんたまたま買った雑誌に載ってたら読むけど、そのくらいでした。
だから、今日の参加者の方も『手紙魔まみ』までは読んでるけどあとはそんなに知らない、という方が多いのかなと思って、勉強会の資料としては多すぎるんですが、2003年以降に発表された計1000首を超える歌群のなかから、百首選んでみました。
ここでは私が気になった歌や良いと思った歌、良いとは思わないけど特徴的な歌などをピックアップしています。だいたい2~3年ずつにわけてそれぞれの年代の作品の傾向、モチーフ、テーマについて私が感じたことを書き出しています。
今日はこの「年次」と「テーマ、モチーフ」を補助線に、穂村弘作品のテーマ変遷を追いたいと思います。
◆2003年~2006年
この年代の歌は文体もスタイリッシュで、『シンジケート』のように恋人や女の子が出てきますし、『ドライドライアイス』のボニー&クライド風の、魂のフィアンセを希求するぎりぎりのきらめき、そういった青春のなごりがまだ漂っています。1番の〈観覧車に涙落とせばきらきらと回りはじめる愛のどうぶつ〉や、5番〈ビニールのパックに詰めたトマト・ケチャップをふたりのお守りにする〉の歌とかですね。
加えて初期穂村作品にも『手紙魔まみ』にも登場するエキセントリックな感覚や、空想世界の日常感とでもいうのかな。「穂村弘は誰も見たことがないものを、誰もが知っているもののように書く」と誰かが言われてましたが、そういった空想世界のすてきさ。
資料の補足に載せましたけど、東直子さんとの「回転ドアは、順番に」のあとがきで結構すごいことを書いてますよね。言葉の世界ではおれは自由なんだと。その感じがやっぱりここにも継続されています。
いいな、と思った歌は4の〈エレベーターガール専用エレベーターガール専用エレベーターガール〉。穂村弘特集を組まれた短歌ヴァーサス2号で穂村さんが30首連作を出していて、その中の歌です。
2〈飛ばされた帽子を追って屋上を走れば母の声父の声〉や3の〈サランラップにくるまれた父母がきらきらきらきらセックスをする〉も良い。「家族の旅」は父母が出てくるんですね。父母というのはたぶん、このへんの作品ではじめて出てきた。
さっき空想世界と言いましたが、その世界には父母って出てこないんですよね。なぜならそこはスタイリッシュですてきな世界で、たったひとりの「君」との心の交歓が歌のほとんどすべてだから。
これは一般的な話でもあるし、穂村さんもたびたびエッセイでおっしゃってますが、やっぱり「父母」ってダサいじゃないですか、ふつうの感覚でいうと。だからこれまでの穂村ワールドに現実世界的な父母は出てこなかったんだけど、このあたりで初めて登場します。
「家族の旅」は非常に良い連作で、好感が持てました。〈帽子を追って……〉は寺山修司の〈ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん〉ですけど、サランラップの歌とかも、父母を対象化していて冷静ですよね。対象と距離をとって癒着していない。この冷酷さとモチーフのポップさが、やっぱり"正統派ほむほむ"の歌だなあ、という感じを与えます。
9〈電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっときみたちだから〉は印象的な歌で、これはあとで言いますが、最近の歌でよく「戦争」というワードが出てくるんですね。最近の歌とここで言われている戦争はもちろん違うのだけど、非常に本当なんですよね、つねに。だから恐い。
「戦争」と「セックス」って軍国的な取り合わせですけど、これはそれを推奨してるんではもちろんないし、しかも批判とも言い切れない。
ただこの現代の見えない息苦しさ、近代やそれ以前に比べて社会は急進的にどんどん便利になって医療も発達して生存率も上っているのに、反面、人間個々の在り方は非常にやりにくくなっている側面がある。そういうことを穂村弘は歌論の中で繰り返し言っていて、そういったところから生まれた言葉なのかなあ。言葉の隅々まで非常に本気ですよね。本当に「電車の中でもセックスをせよ」と若者に言うわけじゃない、なのに、本気度がものすごい伝わってくる。
もっと最近の歌で、伊舎堂仁さんが〈ぼくたちを徴兵しても意味ないよ豆乳鍋とか食べてるからね〉という歌を出されてたのを思い出します。
伊舎堂さんはたしか私の2歳上で28歳くらいの方ですが、もしかしたら伊舎堂さんは穂村さんのこの歌を意識して作ったんじゃないかな。年齢的にも内容的にも対応しているようで、興味深く取りました。
◆2006年後半~2008年
百首選にはこの時期の歌をほかよりかなり多く取っているのですが……。
これは私の好みとかじゃなく、というか、どっちかというと問題作が多いです。ただちょっと作風的にあまりにも急ハンドルを切ったので、論じるには取らずにいられなかった。それにまた、強烈に印象的な歌が多いのもこの時期です。
具体的に見ていきましょう。2006年から2008年に発表された歌は、主体がこどもの歌が圧倒的多数を占めます。モチーフが子どもなのではなく、視点そのものが子どもで、しかも、口調さえもこども”的”なところに寄せていくんですね。
山田航さんがブログ『トナカイ語研究日誌』で、穂村弘のこの時期の歌について、「グロテスクなノスタルジー路線(http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20090503/1241355249)」「穂村弘が目指しているのは実はホラーなのかもしれない(http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20100117/1263735381)」と書かれているのですが、まさにそんな感じ。非常に気持ちの悪い歌が続きます。
穂村弘は2006年1月から2年間、短歌研究誌上で作品連載をしていました。これは1作30首、3ヶ月に1回の頻度で作品を発表していくもので、このうちの連載第5回「楽しい一日」で2008年の短歌研究賞を受賞されています。
さきほどのグロテスクな子ども主体、という傾向はその「楽しい一日」あたりからが特に顕著です。資料では21~24の歌。もう、明らかに文体が変容してますね。〈女には何をしたっていいんだと気づくコルクのブイ抱きながら〉(『シンジケート』)の声とは声音が1オクターブくらい違う。
22〈オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチって噂〉は面白いですね。ここ数年くらい、穂村さんが何度も引いている歌で、〈ハブられたイケてるやつがワンランク下の僕らと弁当食べる(うえたに)〉って歌がありますけど。その歌はたぶん高校生くらいですけど、こっちのサンドイッチとかもなんか、学校という特殊環境の中の、毎日繰り返される「弁当の時間」という儀式におけるある種の視点。転校生という圧倒的な他者への排斥意識みたいなものもうっすら感じられて恐ろしいです。エッセイを読んでいると実際には穂村さんがよく引越・転校をしているから、そういった記憶も関わるのかもしれません。
「サンドイッチ」というチョイスも目を引きます。自分が子どもだった昭和期における、サンドイッチとかコーンフレークとかスパゲッティとかの、外来の目新しい食べ物。これらは子どもにとってすてきでおいしい食べ物なんだけど、インベーダー的な得体のしれなさが常につきまとっているらしい。と、実際にこれらの食べ物が普及したのがいつなのかとかちゃんと調べてませんが、穂村さんの歌を読んでると、横文字の食べ物にどことなくそういった得体のしれなさを感じます。
23〈あいつだよあいつこないだ学校のトイレでうんこしてたんだって〉、それからまた別の連作ですが、27〈留守番の炬燵の上で人形のスカートめくりパンツをおろす〉、29〈ポッキーをぺろぺろ嘗めてプリッツにして元通りしまっておいた〉……。
……これらって、"子どもあるあるネタ"じゃないですか?すくなくとも「個」の「我」がはっきりと世界の中からその瞬間に掴み取った感覚ではなく、既に流布しているイメージ、既存のあるあるネタをそのまま書いてますよね、57577で。漫画なんかでこういったシーンを見たことがあります。
「生の一回性の輝き」とか、言うじゃないですか、『短歌という爆弾』で。この生がたった一回限りであるという実感が歌を詠わせるのだとしたら、なんでこんな既存のイメージを持ち込むんだって、なかばイライラしながら読んでました。私は。
ある意味こういった当時の子どもの声そのままといった歌があることで、時代が明確に違うということを説明してますし、それに、気持ち悪さが強調されてるし。だから、一概に悪いとも言い切れないんですけども……。
私はこの時期の歌の作りについてわりと批判的で、やっぱり、作者の表現したかったことに対して景が歪んでると思うんです。手法にイメージがはまりきってない。それは短歌の可能性の提示としてとることもできるんだけど、やっぱり、成功してないんじゃないかな、昭和的感覚を説明するために昭和あるあるネタを持ち出すの。ということは考えています。
この時期の歌を読んでいると繰り返し繰り返し出て来るモチーフや舞台があって、まずは小学校。
その中で、授業中の歌ってぜんぜんないんです。小池光さんの歌に〈蟻潰す机上にありて数式はみなやすやすと解かれゆきたり〉(『バルサの翼』)とか、これもたぶん子ども時代を思い返して書いているのかな、そういう歌がありますけど。穂村弘の子ども視線の歌には授業中の風景ってぜんぜん描かれてこない。
繰り返しにはまず、「遠足」がすごい出てきますね。遠足、最近までずっと出てきてるんですけど。それに付随して「美しいバスガイドさん」が何度も登場します。百首選の中だと30〈2号車より3号車より美しい僕ら1号車のバスガイド〉それから59〈バスガイドさんに手紙を書くための万年筆を買いにゆく旅〉。
学校で言えば「先生」が出て来ることも多いです。そして「夏休みの登校日」。
「楽しい一日」の受賞後第一作として書かれたのが「チャイムが違うような気がして」(百首選38~41)という50首連作なんですが、学校を取り扱った、先程言ったような子ども視点の気持ち悪さというのはこの連作でピークに達します。
この連作の季節は夏なんですが、カブトムシ取りに行ったりとかプールに行ったりとかせず、シチュエーションに夏休みの登校日が多いんですよ。それが妙に暗くて気持ち悪い。
ただなんとなく共鳴するイメージが私の中にもあって、いつもは生徒もいっぱいいるし、そんなことあんまり感じる暇がないんだけど、休み期間の学校とかって妙に暗くて静かで、怖い。廃墟みたいなかんじ。廃墟や休み期間の学校って、そこには過去に人間がいて生命活動を繰り広げていて、建物にその記憶が残っているから、その非在を際立てているんだと思うんですけど。そういう気持ち悪さを肌で感じる連作です。
学校でないところだと、家庭のことがよく描かれています。炬燵が出て来ることが多いですね。
この中には入れてないんですが、「火星探検」という2006年の連作で、〈ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵の中の火星探検〉、また2010年の「新しい髪型」の連作では〈クリスマスの炬燵あかくておかあさんのちいさなちいさなちいさな鼾〉など、団欒の中心地点としての炬燵がさまざまな場所に出てきます。
わたしは実は「火星探検」は入手できておらず未読なのですが、この一連は亡くなったお母様への挽歌とのことで、山田航さんもブログの中で「穂村弘という歌人の大きなターニングポイントとなった作品」(http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20090503/1241355249)と評価されています。
母への挽歌と赤色の取り合わせだと、どうしても斎藤茂吉や寺山修司がぱっと思い浮かびますが……。ともかくこれ以降、穂村弘は子ども視点で、家族のことを繰り返し繰り返し歌うようになります。
これらの「子ども視点の昭和の歌」の群で共通して見られるのが、レジュメにも書いてますが、完全に子ども、完全に昭和じゃないんですよ。ほとんど必ず、大人としての自己や現代のモチーフが紛れ込んでくる。自己と世界線が奇妙にねじれてゆがんでいるんです。
「楽しい一日」もほとんど全編子どもの歌なのに、最後のほうの歌に〈母のいない桜の季節父のために買う簡単な携帯電話〉という歌がある。
「にっぽんのクリスマス」は遠足の歌が多いんですけど(百首選25-26)、子どもの遠足の歌が続いたのに最後の一首が〈妻とゆく遠足にして「虹と雪のバラード」だけが鳴り響く町〉と。どうも過去の遠足の記憶と、結婚もして40代の作者の現在の風景とがオーバーラップしている。電話の混線や電波の悪いテレビみたいに、ときどき変な声、変なイメージが混じってくる。
それから、自分ではない目の前の子どもがおじさんだったとか、老人の顔とか、そういうテーマの歌も非常に多いです。この時期で引いているのは32〈ふりかけでお昼のご飯食べているおともだちには髭が生えてる〉と40〈一年生になったら一年生になったらと歌う子供の顔が老人〉。
こういった現象についてひとつ考えられるのは、書き手の「我」と主体および発話者の「子どもの我」とを同一化させようとすることの、無理が出ているのではないかということ。実際には40代で現代に生きている、コンビニで菓子パンを買ってヤフオクに夜中まで張り付いて腕時計を落札する、現実にはそういうことをしている作者が、歌の中では子どもとして昭和時代を再経験しようとしていることの無理が、自分だけじゃなく、登場人物や周囲の景も歪ませてしまっているんじゃないか、と。
だから、これはめちゃくちゃホラーなんです。よくSFのタイムパラドックスで、過去に人を死なせてしまったとか、恋人を失ったとかして、その過去を回避するためにタイムマシンで過去に戻ってなんとかしようとするの、あるじゃないですか。あれってたいてい失敗してどうあがいても同じ未来になるか、あるいはもっと悪い未来を招いてしまう……というのが定石ですけど。それに似てる。
穂村弘は、短歌という「私」の詩型を逆手に取って、短歌によって「子どもの私」を再規定し、何度も昭和の、まだお母さんが生きている子ども時代を生きなおそうとしている。それはある部分ではうまく目的を果たせているようなんだけど、どうしても風景や人やどこかに歪みが出てしまう。考えすぎかもしれませんが、この時期の歌にはそういった無力さや絶望も感じ取れます。
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長くなりましたので、続きはまた後日投稿したいと思います。
次回予告、穂村弘にとっての震災と戦争、少女的モチーフへの回帰など。もうしばらくお付き合いください。