穂村弘作品におけるテーマの変遷――近作評を中心として・1

先日10月16日、久真八志さんが運営されているかばんの勉強会(Kabamy)にお誘いいただき、レポーターをする機会がありました。

 

勉強会のテーマは「穂村弘を追いかける!」。その名の通り、穂村弘氏の作家研究的な勉強会です。私は「穂村弘作品におけるテーマの変遷――近作評を中心として」という題で、2003年に出版されたベスト歌集『ラインマーカーズ』以降歌集としてまとめられていない穂村弘作品を集め、その作品群を年代別に傾向を整理する、ということをしました。

 

当日の資料については、久真さんによりKabamyブログに掲載いただきましたので、こちらをご覧ください。
http://kabamy.jugem.jp/?eid=23
資料リンク:
2003年以降の穂村弘作品リスト→ https://drive.google.com/open?id=0BzxZ66iatJ96RVVEWGJDeEVlZmc
睦月都 穂村弘近作百首選→ https://drive.google.com/file/d/0BzxZ66iatJ96VVBhMUlPSjhPcmc/view?usp=drive_web
穂村弘作品リストについては、Twitterで協力を呼びかけ、有志のみなさまより提供いただいた情報をまとめました。ご協力いただいたみなさまに改めてお礼申し上げます。
※百首選の公開については、穂村弘さんご本人より許可をいただいております。

 

勉強会当日の発表では上記資料をもとに近年の穂村弘作品の紹介を行いましたが、この記事はその発表原稿をブログ記事用に若干の手直しをしたものとなります。

 

穂村弘氏は第一歌集『シンジケート』からそれに続く『ドライドライアイス』、「まみ」という少女から穂村弘に宛てた書簡集という設定の異色の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(以下、『手紙魔まみ』)まで、歌壇のみならず一般層まで幅広い支持を得ている特異な歌人ですが、『手紙魔まみ』以降の短歌作品はその多くが短歌総合誌に掲載されているのみであり、現在のところ歌集等のまとまった媒体では目にすることができません。

そのために穂村弘は、現代短歌を語る上でなくてはならない人物ながら、歌集の長いブランク期間のために、とりわけ近作については断片的にしか語られていないように思われます。

 

今回私の発表した内容はあくまで約13年間の総ざらい、概観的な内容となります。当然これが全てではありませんが、膨大な作品群から抽出したキーワードはそれほど大きく外れていないのではないかと、また、そのように注意深く読んできたつもりです。
この資料を手がかりに、今後さらなる優れた穂村弘批評があらわれることを期待しつつ、ここに掲載いたします。

 

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こんにちは、睦月都です。「穂村弘作品におけるテーマの変遷―近作評を中心に」というタイトルで発表させていただきます。よろしくお願いいたします。

本日は資料を2部配っています。1枚め、穂村弘近作リスト。これは2003年以降の穂村弘作品をまとめたものです。Twitterを通じて情報提供を呼びかけて、いろんな方からいただいた情報をもとに構成しています。そういったご協力により作られているリストなので、完璧に網羅できているわけではないんですが、短歌総合誌に発表されたものなんかはかなりカバー率高いんじゃないかな、と。
もう1部、穂村弘近作百首選です。
穂村さんは2001年の『手紙魔まみ』それから2003年のベスト歌集『ラインマーカーズ』以降、一冊も歌集を出されてません。さっきのリストをわざわざ集めたっていうのも、歌集さえ出てればこんな甚大な労力は払わなくてよかったんですけど……。
こういうのを作ったのは、一人の歌人の作品を、歌集に収録されていない状態で、いろんな雑誌に発表されるのを全部追いかけるのってほとんど不可能ですよね。私もこのお話を久真さんからご依頼いただくまでは、穂村近作ってほとんどノータッチで来ていて、もちろんたまたま買った雑誌に載ってたら読むけど、そのくらいでした。
だから、今日の参加者の方も『手紙魔まみ』までは読んでるけどあとはそんなに知らない、という方が多いのかなと思って、勉強会の資料としては多すぎるんですが、2003年以降に発表された計1000首を超える歌群のなかから、百首選んでみました。
ここでは私が気になった歌や良いと思った歌、良いとは思わないけど特徴的な歌などをピックアップしています。だいたい2~3年ずつにわけてそれぞれの年代の作品の傾向、モチーフ、テーマについて私が感じたことを書き出しています。
今日はこの「年次」と「テーマ、モチーフ」を補助線に、穂村弘作品のテーマ変遷を追いたいと思います。

 

◆2003年~2006年
この年代の歌は文体もスタイリッシュで、『シンジケート』のように恋人や女の子が出てきますし、『ドライドライアイス』のボニー&クライド風の、魂のフィアンセを希求するぎりぎりのきらめき、そういった青春のなごりがまだ漂っています。1番の〈観覧車に涙落とせばきらきらと回りはじめる愛のどうぶつ〉や、5番〈ビニールのパックに詰めたトマト・ケチャップをふたりのお守りにする〉の歌とかですね。
加えて初期穂村作品にも『手紙魔まみ』にも登場するエキセントリックな感覚や、空想世界の日常感とでもいうのかな。「穂村弘は誰も見たことがないものを、誰もが知っているもののように書く」と誰かが言われてましたが、そういった空想世界のすてきさ。
資料の補足に載せましたけど、東直子さんとの「回転ドアは、順番に」のあとがきで結構すごいことを書いてますよね。言葉の世界ではおれは自由なんだと。その感じがやっぱりここにも継続されています。

 

いいな、と思った歌は4の〈エレベーターガール専用エレベーターガール専用エレベーターガール〉。穂村弘特集を組まれた短歌ヴァーサス2号で穂村さんが30首連作を出していて、その中の歌です。

2〈飛ばされた帽子を追って屋上を走れば母の声父の声〉や3の〈サランラップにくるまれた父母がきらきらきらきらセックスをする〉も良い。「家族の旅」は父母が出てくるんですね。父母というのはたぶん、このへんの作品ではじめて出てきた。
さっき空想世界と言いましたが、その世界には父母って出てこないんですよね。なぜならそこはスタイリッシュですてきな世界で、たったひとりの「君」との心の交歓が歌のほとんどすべてだから。
これは一般的な話でもあるし、穂村さんもたびたびエッセイでおっしゃってますが、やっぱり「父母」ってダサいじゃないですか、ふつうの感覚でいうと。だからこれまでの穂村ワールドに現実世界的な父母は出てこなかったんだけど、このあたりで初めて登場します。
「家族の旅」は非常に良い連作で、好感が持てました。〈帽子を追って……〉は寺山修司の〈ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん〉ですけど、サランラップの歌とかも、父母を対象化していて冷静ですよね。対象と距離をとって癒着していない。この冷酷さとモチーフのポップさが、やっぱり"正統派ほむほむ"の歌だなあ、という感じを与えます。

 

9〈電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっときみたちだから〉は印象的な歌で、これはあとで言いますが、最近の歌でよく「戦争」というワードが出てくるんですね。最近の歌とここで言われている戦争はもちろん違うのだけど、非常に本当なんですよね、つねに。だから恐い。
「戦争」と「セックス」って軍国的な取り合わせですけど、これはそれを推奨してるんではもちろんないし、しかも批判とも言い切れない。
ただこの現代の見えない息苦しさ、近代やそれ以前に比べて社会は急進的にどんどん便利になって医療も発達して生存率も上っているのに、反面、人間個々の在り方は非常にやりにくくなっている側面がある。そういうことを穂村弘は歌論の中で繰り返し言っていて、そういったところから生まれた言葉なのかなあ。言葉の隅々まで非常に本気ですよね。本当に「電車の中でもセックスをせよ」と若者に言うわけじゃない、なのに、本気度がものすごい伝わってくる。
もっと最近の歌で、伊舎堂仁さんが〈ぼくたちを徴兵しても意味ないよ豆乳鍋とか食べてるからね〉という歌を出されてたのを思い出します。

伊舎堂さんはたしか私の2歳上で28歳くらいの方ですが、もしかしたら伊舎堂さんは穂村さんのこの歌を意識して作ったんじゃないかな。年齢的にも内容的にも対応しているようで、興味深く取りました。

 

◆2006年後半~2008年
百首選にはこの時期の歌をほかよりかなり多く取っているのですが……。

これは私の好みとかじゃなく、というか、どっちかというと問題作が多いです。ただちょっと作風的にあまりにも急ハンドルを切ったので、論じるには取らずにいられなかった。それにまた、強烈に印象的な歌が多いのもこの時期です。

具体的に見ていきましょう。2006年から2008年に発表された歌は、主体がこどもの歌が圧倒的多数を占めます。モチーフが子どもなのではなく、視点そのものが子どもで、しかも、口調さえもこども”的”なところに寄せていくんですね。
山田航さんがブログ『トナカイ語研究日誌』で、穂村弘のこの時期の歌について、「グロテスクなノスタルジー路線(http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20090503/1241355249)」「穂村弘が目指しているのは実はホラーなのかもしれない(http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20100117/1263735381)」と書かれているのですが、まさにそんな感じ。非常に気持ちの悪い歌が続きます。

 

穂村弘は2006年1月から2年間、短歌研究誌上で作品連載をしていました。これは1作30首、3ヶ月に1回の頻度で作品を発表していくもので、このうちの連載第5回「楽しい一日」で2008年の短歌研究賞を受賞されています。

さきほどのグロテスクな子ども主体、という傾向はその「楽しい一日」あたりからが特に顕著です。資料では21~24の歌。もう、明らかに文体が変容してますね。〈女には何をしたっていいんだと気づくコルクのブイ抱きながら〉(『シンジケート』)の声とは声音が1オクターブくらい違う。
22〈オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチって噂〉は面白いですね。ここ数年くらい、穂村さんが何度も引いている歌で、〈ハブられたイケてるやつがワンランク下の僕らと弁当食べる(うえたに)〉って歌がありますけど。その歌はたぶん高校生くらいですけど、こっちのサンドイッチとかもなんか、学校という特殊環境の中の、毎日繰り返される「弁当の時間」という儀式におけるある種の視点。転校生という圧倒的な他者への排斥意識みたいなものもうっすら感じられて恐ろしいです。エッセイを読んでいると実際には穂村さんがよく引越・転校をしているから、そういった記憶も関わるのかもしれません。
「サンドイッチ」というチョイスも目を引きます。自分が子どもだった昭和期における、サンドイッチとかコーンフレークとかスパゲッティとかの、外来の目新しい食べ物。これらは子どもにとってすてきでおいしい食べ物なんだけど、インベーダー的な得体のしれなさが常につきまとっているらしい。と、実際にこれらの食べ物が普及したのがいつなのかとかちゃんと調べてませんが、穂村さんの歌を読んでると、横文字の食べ物にどことなくそういった得体のしれなさを感じます。
23〈あいつだよあいつこないだ学校のトイレでうんこしてたんだって〉、それからまた別の連作ですが、27〈留守番の炬燵の上で人形のスカートめくりパンツをおろす〉、29〈ポッキーをぺろぺろ嘗めてプリッツにして元通りしまっておいた〉……。
……これらって、"子どもあるあるネタ"じゃないですか?すくなくとも「個」の「我」がはっきりと世界の中からその瞬間に掴み取った感覚ではなく、既に流布しているイメージ、既存のあるあるネタをそのまま書いてますよね、57577で。漫画なんかでこういったシーンを見たことがあります。
「生の一回性の輝き」とか、言うじゃないですか、『短歌という爆弾』で。この生がたった一回限りであるという実感が歌を詠わせるのだとしたら、なんでこんな既存のイメージを持ち込むんだって、なかばイライラしながら読んでました。私は。
ある意味こういった当時の子どもの声そのままといった歌があることで、時代が明確に違うということを説明してますし、それに、気持ち悪さが強調されてるし。だから、一概に悪いとも言い切れないんですけども……。
私はこの時期の歌の作りについてわりと批判的で、やっぱり、作者の表現したかったことに対して景が歪んでると思うんです。手法にイメージがはまりきってない。それは短歌の可能性の提示としてとることもできるんだけど、やっぱり、成功してないんじゃないかな、昭和的感覚を説明するために昭和あるあるネタを持ち出すの。ということは考えています。

 

この時期の歌を読んでいると繰り返し繰り返し出て来るモチーフや舞台があって、まずは小学校。

その中で、授業中の歌ってぜんぜんないんです。小池光さんの歌に〈蟻潰す机上にありて数式はみなやすやすと解かれゆきたり〉(『バルサの翼』)とか、これもたぶん子ども時代を思い返して書いているのかな、そういう歌がありますけど。穂村弘の子ども視線の歌には授業中の風景ってぜんぜん描かれてこない。

繰り返しにはまず、「遠足」がすごい出てきますね。遠足、最近までずっと出てきてるんですけど。それに付随して「美しいバスガイドさん」が何度も登場します。百首選の中だと30〈2号車より3号車より美しい僕ら1号車のバスガイド〉それから59〈バスガイドさんに手紙を書くための万年筆を買いにゆく旅〉。

学校で言えば「先生」が出て来ることも多いです。そして「夏休みの登校日」。
「楽しい一日」の受賞後第一作として書かれたのが「チャイムが違うような気がして」(百首選38~41)という50首連作なんですが、学校を取り扱った、先程言ったような子ども視点の気持ち悪さというのはこの連作でピークに達します。

この連作の季節は夏なんですが、カブトムシ取りに行ったりとかプールに行ったりとかせず、シチュエーションに夏休みの登校日が多いんですよ。それが妙に暗くて気持ち悪い。
ただなんとなく共鳴するイメージが私の中にもあって、いつもは生徒もいっぱいいるし、そんなことあんまり感じる暇がないんだけど、休み期間の学校とかって妙に暗くて静かで、怖い。廃墟みたいなかんじ。廃墟や休み期間の学校って、そこには過去に人間がいて生命活動を繰り広げていて、建物にその記憶が残っているから、その非在を際立てているんだと思うんですけど。そういう気持ち悪さを肌で感じる連作です。

 

学校でないところだと、家庭のことがよく描かれています。炬燵が出て来ることが多いですね。
この中には入れてないんですが、「火星探検」という2006年の連作で、〈ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵の中の火星探検〉、また2010年の「新しい髪型」の連作では〈クリスマスの炬燵あかくておかあさんのちいさなちいさなちいさな鼾〉など、団欒の中心地点としての炬燵がさまざまな場所に出てきます。
わたしは実は「火星探検」は入手できておらず未読なのですが、この一連は亡くなったお母様への挽歌とのことで、山田航さんもブログの中で「穂村弘という歌人の大きなターニングポイントとなった作品」(http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20090503/1241355249)と評価されています。
母への挽歌と赤色の取り合わせだと、どうしても斎藤茂吉寺山修司がぱっと思い浮かびますが……。ともかくこれ以降、穂村弘は子ども視点で、家族のことを繰り返し繰り返し歌うようになります。

 

これらの「子ども視点の昭和の歌」の群で共通して見られるのが、レジュメにも書いてますが、完全に子ども、完全に昭和じゃないんですよ。ほとんど必ず、大人としての自己や現代のモチーフが紛れ込んでくる。自己と世界線が奇妙にねじれてゆがんでいるんです。
「楽しい一日」もほとんど全編子どもの歌なのに、最後のほうの歌に〈母のいない桜の季節父のために買う簡単な携帯電話〉という歌がある。
「にっぽんのクリスマス」は遠足の歌が多いんですけど(百首選25-26)、子どもの遠足の歌が続いたのに最後の一首が〈妻とゆく遠足にして「虹と雪のバラード」だけが鳴り響く町〉と。どうも過去の遠足の記憶と、結婚もして40代の作者の現在の風景とがオーバーラップしている。電話の混線や電波の悪いテレビみたいに、ときどき変な声、変なイメージが混じってくる。
それから、自分ではない目の前の子どもがおじさんだったとか、老人の顔とか、そういうテーマの歌も非常に多いです。この時期で引いているのは32〈ふりかけでお昼のご飯食べているおともだちには髭が生えてる〉と40〈一年生になったら一年生になったらと歌う子供の顔が老人〉。

こういった現象についてひとつ考えられるのは、書き手の「我」と主体および発話者の「子どもの我」とを同一化させようとすることの、無理が出ているのではないかということ。実際には40代で現代に生きている、コンビニで菓子パンを買ってヤフオクに夜中まで張り付いて腕時計を落札する、現実にはそういうことをしている作者が、歌の中では子どもとして昭和時代を再経験しようとしていることの無理が、自分だけじゃなく、登場人物や周囲の景も歪ませてしまっているんじゃないか、と。
だから、これはめちゃくちゃホラーなんです。よくSFのタイムパラドックスで、過去に人を死なせてしまったとか、恋人を失ったとかして、その過去を回避するためにタイムマシンで過去に戻ってなんとかしようとするの、あるじゃないですか。あれってたいてい失敗してどうあがいても同じ未来になるか、あるいはもっと悪い未来を招いてしまう……というのが定石ですけど。それに似てる。
穂村弘は、短歌という「私」の詩型を逆手に取って、短歌によって「子どもの私」を再規定し、何度も昭和の、まだお母さんが生きている子ども時代を生きなおそうとしている。それはある部分ではうまく目的を果たせているようなんだけど、どうしても風景や人やどこかに歪みが出てしまう。考えすぎかもしれませんが、この時期の歌にはそういった無力さや絶望も感じ取れます。

 

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長くなりましたので、続きはまた後日投稿したいと思います。

次回予告、穂村弘にとっての震災と戦争、少女的モチーフへの回帰など。もうしばらくお付き合いください。