歌壇と数字とジェンダー――または、「ニューウェーブには女性歌人はいない」のか?

 ※本記事は「短歌往来」二〇一八年十二月号に発表した評論です。発表時に傍点(﹅)をふっていた箇所については、アンダーラインで表現しています。

 

 

 二〇一八年六月二日、名古屋・栄ビルにて『現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年「ニューウェーブは、何を企てたか」』が開催された。現在に至るまで強烈な影響を与えながらも、実態の漠然とした〝ニューウェーブ〟という現象について、荻原裕幸加藤治郎、西田政史、穂村弘という、当時その中心にいた四者による証言で、ブラックボックスとなっていたその発生の起源を明らかにした。

 全体には実りが多く、興味深い会であったが、新たな課題も提出されたと言えるだろう。特に議論が紛糾したのは、「ニューウェーブに女性歌人はいない」とする、西田を除く三者歴史観である。

 

  荻原 次の質問にいきますね。「ニューウェーブの女性歌人は」って、すごい質問だな。千葉聡さんの質問ですが、「ニューウェーブで男性4人の名前はあがりますが、女性歌人で同じように考えられる人はいませんか」です。論じられていないのでいません。それで終わりです。女性歌人について、なぜニューウェーブのなかで語られないかって話はまた別ですので、これは無茶だと思いますね。今日の論旨のなかでは。ただ、千葉さんが名前を挙げている林あまりさん、東直子さん、紀野恵さん、山崎郁子さん、早坂類さんは、それぞれに口語の表現、ライトヴァースなどの切り口で、加藤治郎さんと紀野恵さんとか、穂村弘さんと東直子さんとか論じることはたやすくできると思います。ニューウェーブというくくりだと全然べつなので、これはちょっと無理ですね。答えられる人がいれば、あとでください。

――書肆侃侃房「ねむらない樹」収録、「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」より

 

 

 

 他の質問については四者順繰りにマイクを回していった場面で、この質問にかぎっては荻原の以上の発言のみであっさりと次に移り、会場には戸惑いの空気が生まれた。これに関しては終盤、会場にいた東直子より「ニューウェーブという言葉によってくくられる短歌史の認識に関しては、なんで林あまりさん、早坂類さん、干場しおりさんなどが、あまり論理の俎上にあがってこないのかとずっと疑問に思っていました。私のなかではニューウェーブの口語短歌の歴史的な先輩として刻まれているのに」と問題提起がなされ、加藤、穂村にも発言を求めたが、結局のところ、加藤も穂村も「女性歌人ニューウェーブに入れる必要はない、歴史的な定義からいって無理だ」といった認識を述べるにとどまり、時間の関係上、議論はそこで中断となった。

 ああまたか、と暗い気持ちになってしまったのは、私だけではなかっただろう。東との応酬のなかでも触れられていたが、こういった議論が起きてまず思い出されるのは前衛短歌のことだ。「前衛短歌」というタームはもっぱら塚本・岡井・寺山のものとなり、葛原や山中や中城ら、そこにいなかったはずはない女性歌人たちが、定義上排除されてしまうこと。多くの女性歌人たちが、正史の中に確かな立ち位置を持たないこと。今回、荻原や加藤、穂村から「ニューウェーブはこの四人だ、女性歌人はいない」という宣言がなされた瞬間、まるで裁判官によって「短歌史」という見えない大きな書物の一頁に「正史認定」の重厚な判を押されたような、そんな錯覚を受けた。

 正史、そんなものはない、と言う人もいるだろう。日本に女性差別なんてない、と言うように。見えないものについて語るのはいつもとても難しく、人によって見え方がちがうものについては、なおさら難しい。

 *

  短歌史における葛原の位置と役割は今も明確ではない。多面的であるということは、一つにはこの作家がそれほどに豊穣なものを持っているということだろう。(中略)しかし一方ではこの不安定な位置づけには、短歌史の創られ方の問題があり、その過程で葛原を読み解く文脈が欠落していったということでもあるのではないか。

――川野里子『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』

 

 既存短歌史を問題視し、その構造の歪みに格闘してきた人々というと、川野里子がまず思い浮かぶ。『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』(本阿弥書店、2009)は一冊を通して徹底的に葛原妙子という歌人を突き詰めた歌人論だが、それは全く同時に、戦後短歌史そのものを枠組みから問い直す、スリリングな試みでもあった。

 あるいは、早稲田短歌会の佐々木朔。佐々木は二〇一七年三月発行の機関誌「早稲田短歌」四十六号に「歴史について」という評論を発表し、前衛短歌やニューウェーブ、ポストニューウェーブにおける女性歌人の扱いについて、その時代時代の個々の女性歌人については誰もが饒舌に語れるのに対し、それを「正史」に組み込む際には――私はこれを、「前衛短歌」や「ニューウェーブ」といった語の定義を各々が語ったり、評論に書いたり、あるいは事典に記したり、といった意味でいったん捉えているが――、「女性は自分が何をつくっているのか自覚がない、方法意識がないなどという理由をもって棚上げされ(阿木津英[1992]『イシュタルの林檎』、五柳書院)」、排除される構造について、批判的に分析している。冒頭に上げたシンポジウムの一年以上前に発表された評論だが、私が当該の発言に抱いた違和感のほとんどはここに集約されているため、一読を勧めたい。早稲田短歌会の公式サイトに全文がアップされている。

 あるいは、もちろん、瀬戸夏子。

 

  ――総合誌の掲載。

  ――歌論・評論における、扱いの大きさの違い。

  ――歌壇におけるポジション。

  ――歌を引用される頻度(ほとんど、歌というものは引用によって生き残る)。

  ……………………。(彼女らがそれを望むにせよそうではないにせよ)

  なぜそんなことが起こるかといえば、答えは簡単すぎるくらいに簡単で、歌壇の中心的な登場人物が圧倒的に男性歌人に偏っているからだ(短歌人口における男女比率……にも、もちろん、拘らず)。 

――瀬戸夏子「死ね、オフィーリア、死ね(前)」(角川「短歌」二〇一七年二月号)

 

 

 二〇一七年二月から四月に渡って連載された瀬戸による時評「死ね、オフィーリア、死ね」は、歌壇における女性差別の構造を痛烈に批判し、SNSを中心に当時激しい賛否両論の嵐が吹き荒れた。

 時評の内容やそれに対する反応についてここで詳しくは触れないが、残したものは大きかったと思う。多くの人があれを読み、口々に意見を述べた。批判する者、非難する者もいたが、多くの賛同者も可視化された。今年に入って、短歌界隈におけるさまざまな性差別的な発言が多く俎上に上がり、そのたびに胸を痛めてしまうことも事実だが、そこには「オフィーリア以後」とでもいうべき開けた空気を確かに感じるし、老若男女問わず、私も含めて、以前よりもとても自覚的になっているように思える。

 さて、瀬戸の「オフィーリア」が歌壇における差別的構造の現状を指摘したのに対し、佐々木の「歴史について」は短歌史を制定する過程においていかにして女性が排除されてゆくか、その構造を分析するものだが、この二つの論には共通する点が多くある。二つの論を読み解く上で特に重要なのは、差別が「構造」であるという意識、そしてその構造を分析した点だ。具体的なひとつに、”男性歌人ばかりが評を書いて、男性歌人ばかりが歴史に残る”という、非常にシンプルな問題意識が共通してある。

 *

  それで女の歌人には、女は女でやっとけみたいなところがあるじゃないですか。一方、正史としての短歌史はこう続いています、となる。やっぱり男の人は基本的にそういう流れのなかに女の人を入れないんですよ。サブで入れたりはするんだけど、あくまでサブ。いま「何言ってるんだ、自分はちがう」と思った男の人は短歌に関しての自分が書いた文章なりツイッターなり心のなかの考えなりのなかで男女の名前の比率なんなりを一回きちんとカウントしてみてよ。(「瀬戸夏子ロングインタビュー」、『早稲田短歌』四十五号)

 

 

 例えば、過去十年の『歌壇』、『短歌』、『短歌研究』三誌の時評 *1 において、集計した399本の記事のうち、二十代女性によって書かれた本数は全体の2%、三十代女性によるものは7.8%だった。

 対して、二十代男性によって書かれた時評の数は全体の4.8%、三十代男性に至っては20.8%と、同年代の女性に比べてそれぞれ約二.五倍の差をつけている。特に三十代男性は他の各性別・年代のグループと比べてももっとも執筆本数が多く、次いで四十代男性の16.5%、五十代男性の13.8%と続く。

 女性はもっとも多い年代でも、四十代で10.8%、五十代で10%で、それ以上増えることはない。各年代の男女執筆本数比で女性が上回るのは六十代のみで、女性は8%、男性は3.3%となる。七十代女性は0%、男性は2.3%。全体の比率で見ると、女性の執筆本数は過去十年間で154本、男性は245本となり、全世代をあわせても女性比率は4割を切っている。

 前提として、短歌人口における男女比は戦後逆転し、以後ずっと女性の方がやや多いと言われている。これはかなりいろいろなところで言われているわりに確たるデータが見つかっていないのだが、例えば毎年行われている短歌研究新人賞の応募データを見てみると、過去十年間の平均値は女性50-54%、男性46-50%くらいの比率で推移している。世代別の人口比・性別比を調べようとすると膨大な作業が必要になりそうなので今回はやらないが(どこかが調査していないものだろうか……)、いったんは、男女半々か女性のほうがすこし多いのかな、という感じで、あらためてデータを見てみてほしい。

 母数の人口比が不明瞭である以上あまり多くのことは言えないが、……言うまでもなく、時評執筆者が男性に偏っていることがわかるだろう。もちろん時評を書くだけが歌人の仕事ではないが、歌壇を広く見渡し、その時代の空気を書き残す重要な仕事において、特に三十代、四十代というボリュームゾーンでここまで差がついているのははっきりと問題だと感じる。歌人の三十代四十代といえば、経験や知識を豊富に蓄積しながら、上の世代にも若い世代の活動にも目端が利き、短歌も評も、あらゆる世代にとって影響力が強い世代ではないかと思う。

 もう少し、他の数も数えてみよう。

 例えば「短歌研究」年鑑の「評論展望」において、二〇一七年前半を担当した西ノ原一貴が言及した評者は12名、うち女性は3名だった。同じく後半を担当した田中槐は、内容に言及のあるものについて数えると評者は28名、うち女性は9名。二〇一六年は古谷智子と屋良健一郎が担当し、言及された評者は二者あわせて全39名、うち女性は8名。二〇一五年を担当したのは森井マスミと山田航で、言及は全24名、うち女性は3名である。――誤解のないように書いておくが、これは担当者の選出に難があるわけではなく、母集団における比率の問題だろう。

 例えば、二〇一七年度の歌壇賞の選考委員は男性と女性が3対2。短歌研究新人賞は2対2。角川短歌賞では3対1。やや女性が少ないながらも絶えず女性選考委員が起用されているのに対し、現代短歌評論賞においては、選考委員全員が男性という年も少なくない。いても5名中1名といったところだ。

 例えば――。……どんなデータを集めても同じだろう。

 作品ならともかく、こと評となると書き手にずいぶん男性が目立つというのは、おそらくは多くの人が感じていることだろう。評を書くことと歴史をつくることはイコールではないけれど、まず書かなくては、何も残らない。多くの女性にとって書く場がない、書く機会が与えられないならば、それもひとつの構造的な差別である。

 もちろん、評論の場で女性に比べて男性が起用されやすいのは、誰も差別しようと思ってそうしているのではないだろうし、裏にさまざまな事情があるのだろう。もし数が是正されて、書いたその先に、その内容を(女性であるがゆえに)読まれなかったり、過小評価されたり、やっぱり歴史に残らなかったりといったさらなる状況が出てくることも、悲しいが容易に想像できる。

 ただ、現状として〈数〉にこれだけの差が歴然とあるのだ。まずはそれを問題と認識して取り組まなければ、今後も差別的な構造はただ再生産されてゆくだけだ。 

 

 *

 

 話を少しだけ「ニューウェーブ三十年」に戻そう。

 荻原も加藤も穂村も、かつて前衛短歌から山中や葛原や中城らが排除されたように、「ニューウェーブはこの四人だ」と括ることで、東や林あまり早坂類ら女性歌人を排除することになるように見えることには、とても自覚的だったように思える。

 荻原は角川『短歌』七月号の時評において、先述の佐々木朔「歴史について」に触れ、「つまり、私たちが先行世代や同世代に対して、孤立感を持って自称したニューウェーブが、同世代や若い世代には、女性排除的な短歌史の構図の中にあるように見えるらしい」と述べ、自らの立場から、再度ニューウェーブというものの説明を試みている。さらに、「現時点で、そうしたニューウェーブをめぐる言説が女性排除的な短歌史の構図の中に見えるとしたら、少なくとも私には、それを再考する義務があるとは思っている」と引き受けて、八月号でも引き続き考察を続けている。結局この二回の中でははっきりとは結論が出なかったようだけれど、荻原のこの態度はある意味、当事者の声として誠実なものだった。

 そして実際、今回の件で最も根が深いのはそこだとも思う。

 「前衛短歌」というタームで女性歌人が語られないのは、何も男たちが積極的に女たちを排除したからではないだろう。誰も、女たちをいじめたくて、あるいは、「宝物を独占して離」すまいとして *2 、排除したくて排除したわけではないだろう。

 女たちが歴史から排除された原因は、誰も積極的には女たちのことを語ろうとしなかったこと、ではないだろうか。悲劇のヒロインやミューズや天女のような存在としてではなく、同じ時代を生き、お互いに競い合った、ただひとりの歌人としては。

 ――今回提出された「ニューウェーブに女性歌人はいない」という命題は即ち、「〈彼女たち〉はニューウェーブ歌人ではないのか?」という問いを立てる。この問いは今後時間をかけて、多数の事実や文脈の整理とともに議論されていくだろう。そのとき、事実を事実として扱うのではなく、その背景を常に批判的に捉え直しながら歴史を再考したい。短歌とジェンダーについて語るとき、その事実や文脈の基盤である既存の枠組みにどれほどの格差が存在するか、それを念頭に置いて正規化するだけでも、ずいぶん見通しがよいものになるのではないだろうか。

 

*1:データは今回、筆者が独自に収集・集計した。集計対象は『歌壇』(本阿弥書店)、『短歌』(角川文化振興財団)、『短歌研究』(短歌研究社)三誌の二〇〇八年八月号~二〇一八年七月号。時評欄を持つ短歌総合誌のうち、『現代短歌』(現代短歌社)は創刊から五年と年月が合わなかったため、今回は対象外とした。連載の形式としては『歌壇』と『短歌研究』は一年間を三名で各号一名が執筆、一ヶ月交代で担当。『短歌』は二〇一二年までは各号一名、三ヶ月連載だったが、二〇一三年一月から二〇一四年六月までは各号一名の六ヶ月連載となり、二〇一四年七月以降からは各号二名体制の六ヶ月連載となり、現在まで続いている。

*2:荻原裕幸の角川『短歌』七月号の時評を参照。